Life won't wait.

随分人生を遠回りしてしまいましたので学び直し中です

距離感のないモラ人と『モラ語』

モラ人の定番だと思いますが、彼らには『人との距離感』というものがありません。「家族なんだから何でもあり」と言い退ける程で、酷いケースですと家庭内窃盗は当たり前の事になっています(我が家でも起きています)ので、モラ人が一人いるだけで非常に治安が悪く、家の中が容易に『スラム化』してしまいます。

 

モラ人が吠えるように話すのは「分かってもらおう」という気持ちが絶大に含まれているなと思うことは多いです。分かってくれなかった場合、ご機嫌が悪くなり『腹いせ』が待っています。

 

「『自分のことを分かってくれている人』って、恐らく地球の人口80億人くらいに居ないんじゃなですか?私にも居ませんよ?」と夫に言ったら、夫はハッとしたことがありました(他のモラ人には通じませんでした)。

 

『自分だけに起きている』という被害者意識が強く、『他人が自分の面倒を見てくれるもの』という概念も病的(フル介護レベル)で『お願い』というものを抜きで関わって来ます。よって、『催促、おしつけ、仕向ける』が彼らの主なアピールの仕方で「見たらわかるだろ!」「聞いたらお察ししろ。」などと平気で言って来ます。

 

『野蛮人』という言葉を思い出した程でした。

 

「お察しって通常、状況の把握とかに使いません?」と夫に言ったら「は?」と驚かれた事もありました。モラ人の言う『お察し』とは『ご機嫌をとること』『ゴマをする内容を考えろ』ということになりますので、もはや日本語の意味を逸脱しています。

 

モラ語は至る所に散りばめられ、言葉の組み合わせは小学3年生の国語ドリルでさえクリアできないであろう状態に異様、単語から独特な使い方すぎて私にとっては方言を覚えるより難しく、外国語の方が辞書があるだけ助かる状態でした(無駄に過酷)。

 

モラ人が集まれば「いかがわしい宗教団体が作れそうだな」と思ったことがあるほど言語の使い方、概念、思想がカルト化されています。思想や信教の自由からして拒絶したいですし、生理的拒絶反応が絶大でしたが『法律は彼らには通じません』ので悪戦苦闘、孤軍奮闘状態になってしまいました。

 

もし、彼らを受け入れる事ができる常人の方がいたら、その方は「モラ人たちから見て『神』」だと思います。しかしながら、そういう方は居ないので、無理やり巻き込もうと「あの手この手」を使って来ます。

 

人の判断に口を出し、人の考えに口を出し、ケチつけられっぱなしになる事は珍しくありません(我が家では現在次女のみが取り組み中)。

 

彼らのズカズカと土足で踏み込んでくるような図々しさは「気持ち悪い」という言葉では足りず、「穢(けが)らわしい、という言葉はこの事なのか!」と何度も経験してきています。